ザ・庭師。参上
2021/01/18 家計
目次
「近くまで来たけん、寄りましたばい。庭ば見せてもらいますな」。
博多弁丸出しの威勢のよい声が玄関先から響いてくる。常に背筋をピンと伸ばしたその男性は、いつも突然我が家を訪ねてくるのだ。化粧前の母が狼狽する間に、彼はもう庭に立っている。
「奥さん。奥さん。今日はこの辺を綺麗にしますばい!」
彼は60代の庭師である。出逢いはポストに入っていたフリーペーパーの小さな広告。「小さな庭だから造園会社には頼みにくい、など庭木の剪定・手入れなどで困っている方。長年の職人の技で庭木1本からお手入れ!」の文言にピンときた。
狭いながらも40年間、両親が丹精込めて育てた木や花でいっぱいの庭。二人ともいつまで手入れができるかわからない。いずれは私にその役目が回ってくる。強いと言われる観葉植物でさえも枯らしてしまう私は、実は困っていたのである。
「将来誰か手入れしてくれないかな。せめてアドバイスしてくれないかな。」私にとっては切実な悩み…。そんな時に出会った広告。
ここ数年頼んでいた剪定師(プロではない)に対して若干の不信感を抱いていた母に、“いいかもよ”と切り取った紙きれを渡しておいた。そして現れたのが彼である。
最初の参上から数回。プロの手によって我が家の庭はよみがえった。生い茂って光を通さなかった松の葉はきれいに整えられ、青い空をバックに細やかな造形が浮かびあがっている。
庭中の木々それぞれが太陽の光を浴び、充分に雨水を補給し、ちょうど良い加減に剪定をしてもらって一本一本が生き生きしてきたように見える。
昔ながらのやり方で今どきの手順(例えば事前の見積書の提示など)が飛んでしまう一面もあるけれど、その確固たる自信とプロならではの仕上がりに両親も私も満足と安心感を得ることができた。
「プロの仕事。プロの技。」
私の先輩が、独立したいという相談者によく言っている。「アマは結局自分が喜んで終わる。でもプロは他人が主人公であり、真に役に立ったと価値を感じて(対価を払って)もらえる働きをしてこそプロである」と。傍で聞いていて、“自分はできているか”と問いかける。
少しわかっただけなのにとても成長したように勘違いしたり、自信でなく過信になっていたり。そんな時に限って大きなミスを犯し、ハッと気づかされたりする。本当に落ち込んでもがくけれど、有り難いことに初心に戻れる瞬間でもある。神様・仏様・ご先祖様(このフレーズあまり聞かなくなりましたね)貴重な経験をありがとうございます、である。
どんな小さな作業でも仕事でも、真摯に向き合って経験と努力を積み重ねていこう。たまのサボりも息抜きもOK。ご褒美の食事もOK。失敗もアタリマエ。でも、自分の選んだこの道をあきらめない。好きなんだから、大丈夫!
すっきりとして、生命力あふれる庭に生まれ変わった“ザ・庭師”の作品を見ながら、そう言い聞かせている自分がいた。この影響力、ワクワク感。これぞプロ。
そう言えば、前回の帰り際に彼が母と話していた。「松の剪定が○○円。季節ごとの剪定に○○円。一年でだいたい○○円くらいかかりますばい」。
了解、将来はこれだけ私が払うのね。庭貯金、決定!
ファイナンシャルプランナー 堤 淳子